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6・伝えたい想い Page12

last update Last Updated: 2025-03-14 09:10:02

「――さて、取材はこんなもんかな。美加、今日はありがと。仕事のジャマしてゴメン」

「ううん、こっちこそゴメン! 色々突っ込んだこと訊いちゃったみたいだし、結局奈美の役に立てたかどうか……」

 美加は殊勝にシュンとなったかと思えば、次の瞬間にはけろりんぱと表情を変えた。

「実は仕事は早めに終わってたの。午前中にプランニングにはOKが出てて。午後は奈美が来るって分かってたから、会社に残ってただけなんだ」

 本当は早く帰れたはずなのに、私のためだけに残っていてくれたなんて。

「そうだったんだ? ありがとね、ホントに助かったよ。――じゃ、私はそろそろ」

 私はノートと筆記具をバッグにしまい、紙コップを手にして立ち上がる。

「仕事頑張ってね! 私もいいエッセイが書けるように頑張るから」

「うん! 本出たら絶対買うよ☆ ……あ、紙コップはあたしが片付けとくから」

「うん? 悪いね、ありがと」

 彼女はここのスタッフなんだし、そうするのが筋なんだろう。そう思って、私は持っていた紙コップを美加に手渡した。

 結婚式場を出ると、時刻は午後三時を過ぎていた。〝取材〟という名目で来たわりに、けっこう長居(ながい)をしてしまったらしい。

 ちなみにこの後、取材の予定は入っていない。バイト先の書店は土日は忙しいし、学校の先生は平日じゃないと会えない。というわけで、今日の取材はこれで終了。私は初夏の陽気の中を家路についた。

   * * * *

 ――その翌日からも、私はバイトに勤しむ傍ら取材としてあちこちを訪ね、色んな人から話を聞いた。中学・高校時代の恩師、昔よく本を借りていた図書館の司書さん、昔親しかった友達、バイト仲間(由佳ちゃん・今西クン・清塚店長も含む)――。

 そうして書き溜めた取材メモを元にして、依頼されてから十日ほどでプロットの作成にまで漕(こ)ぎつけた。

 メモのページをめくりながら、そこに書いたフレーズを大まかな文章に起こしていくのだけれど、私はかなりの苦戦を強(し)いられていた。

 何せ、エッセイ執筆は初挑戦。なので、小説を執筆する時とは勝手が違うのだ。

 小説はジャンルにもよるけれど創作なので(ノンフィクションは除く)、自分の想像力で文章を組み立てることができる。でも、エッセイは材料となる事柄(ことがら)がすでに揃っているので、それありきで文章にしなければならない。

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     ♪ ♪ ♪ ……「――あっ、電話だ」 頭を抱えてウンウン唸(うな)っていると、机の上の充電済みのスマホが鳴った。着信音で分かる。原口さんだ! 私は通話ボタンをタップしてから、そのままスピーカーフォンにした。「はい、巻田です」『巻田先生、お疲れさまです。執筆の方、今はどんな感じですか?』 応答すると、第一声は本当に編集者の彼らしいセリフ。「えっと、あちこち取材し終えてプロットにかかってるところです」『そうですか。仕事が早いですね』 ……ん? この電話の声、ものすごく近い気がする。彼はどこから電話しているんだろう?『実は今、先生のマンションの近くまで来てるんですけど。先生にお渡ししたいものがあるんですが、これからおジャマしても大丈夫ですか?』 私は時刻を確認した。夜の八時過ぎ。お宅訪問の時間としては、まあ常識の範囲内だ。もし万が一潤にツッコまれたとしても、今回は大丈夫だろう。彼は多分、仕事で来るはずだから。「いいですよ。どうぞ。玄関のロックは外しておきますから」『ありがとうございます。では、あと十分くらいで伺えると思いますので』「はい、待ってます」 終話してから、私は首を捻った。原口さんが私に渡したいものって何なのかな? とりあえず、玄関のロックは外しておかないと。「不用心だ」と言われそうだけど、このフロアーの住人に不法侵入をするような不届き者はいないので安全だ。 ――それから本当に十分くらいして、玄関のインターフォンが鳴った。「はい」 モニターで確認すると、訪問者はやっぱり原口さん。ちゃんと電話で予告してくれているのに、わざわざインターフォンまで鳴らすなんて律儀(りちぎ)な人だ。『原口です。こんばんは』「ロック開けてあるのでどうぞ」「おジャマします。夜分にすみません」 自分でドアを開けて、彼は入ってきた。 今日は何だか荷物が多い。特に、持ち手つきの紙袋がやけに重そうだけど、一体何が入っているんだろう?「いいですよ。そんなに遅い時間でもないですし。どうぞ座って下さい。いまお茶淹れてきますね」「いえ、お構いなく。――それじゃ、失礼して」 彼はお茶は遠慮したくせに、ソファーには遠慮なく座る。――まあ、このソファーは彼の指定席みたいなものだし、ここで一晩寝たこともあったし。「本当はもっと早い時間に伺いたかったんですけど

    Last Updated : 2025-03-15
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    「じゃあ、神保町からわざわざ? 大変だったでしょう」「ええ、まあ。大変といえば大変なんですけど。おかげで明日は早めに出勤して、その原稿のゲラ起こしをしないといけないので。ですが、巻田先生には今日中にこれをお渡ししたくて」 原口さんはそう言って、例の重そうな紙袋を私の横へ移動させた。よくよく見れば、そこには大手書店の店名ロゴが印刷されている。……ということは。「これ、全部本……ですか? 三冊も!」 中身を取り出すと、ハードカバーの本が三冊だった。どれもエッセイ本らしく、著者はバラバラだ。「はい。先生が書かれるエッセイの参考になりそうなのを、僕が三冊ばかり自腹で選んできました。著者によって文体が違うので、どれが参考になるか分かりませんが……」 わざわざ私のために自腹まで切ってくれたなんて、彼の心遣いには恐れ入る。「いえ、ありがとうございます! 助かります。エッセイなんて初めてだから、どう書いていいか悩んでたところだったんです」 まるでタイミングを見計らったような担当編集者の機転に、私はもう感謝しかない。時間がある時に全部ザッと読んでみて、私の文体に一番近いのを参考にしよう。「――ところで、プロット、できたところまで見せて頂いてもいいですか?」「あっ、はい! ちょっと待ってて下さい。取ってきますから」 私は仕事部屋に急いで戻り、机の上に広げてあったプロットノートをリビングまで持っていく。一応少しは文章らしくまとめてあるけど、それをどう繋げていくかが悩みの種だったのだ。「これです。まだあんまり進んでないんですけど……」 私は原口さんの隣りに座り、彼にノートを手渡す。

    Last Updated : 2025-03-16
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    Last Updated : 2025-03-17
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    Last Updated : 2025-03-18
  • シャープペンシルより愛をこめて。   7・前に進む勇気 Page2

    「あれ? あんまり驚いてないみたいですけど。ご存じだったんですか?」「ええ、まあ。琴音先生から聞いてたので。二年前に元カノと別れた、って」「そうですか。西原先生が……ねえ」 原口さんの表情が曇(くも)る。琴音先生の名前が出たから? そして、またもや私の心を掻き乱す、〝二年〟という歳月(さいげつ)。私が作家の道を選び、潤と別れたのも二年前で、琴音先生と原口さん、それぞれの恋が終わったのも二年前。 ……いや、原口さん達は一緒だったかもしれないけれど。どれも二年前にあったことなんて、偶然が重(かさ)なりすぎじゃないの?「……どうかしました? 先生」 頭をもたげていた私を、食事する手を止めた原口さんが心配そうに覗(のぞ)き込んでいる。「……え? ああ、いえ。別に」 何でもない、という風に私は首を振った。 これで、彼がフリーだということは確定したわけだけれど。まだ安心できない。私以外に好きな女性がいたら? ――もう一人の私の「やめときなよ」という囁(ささや)きは無視して、私は彼に訊ねる。「じゃあ、好きな女性とか気になってる女性は? 一人くらいいるんでしょ?」 ……どうか琴音先生じゃありませんようにと、祈るような想いで答えを待った。「一人だけいますよ。年下なんですけど、責任感が強くてまっすぐで、仕事にポリシー持ってる女性が」「え…………?」 思わず彼を見つめてしまう。――それって私? なんて自惚(うぬぼ)れてるのかな? でも〝年下〟ってことは、確実に琴音先生(あの人)じゃないよね。「でも僕、不器用なもんで。素直じゃないっていうか、いつも素っ気ない態度とかばかり取ってしまうんで、嫌われてたらどうしようかと……」 やっぱり私だよね? だったら大丈夫! 私はあなたのこと嫌ったりしないから。 私は自分の心に一つの区切りをつけようと思った。今のぬるま湯に浸(つか)っているような関係は心地いいけど、いつまでもこのままというわけにはいかない。 でも、それは今じゃない。「原口さん」「……はい?」 私は意を決して、彼に言った。「今回の原稿が上がったら、あなたに伝えたいことがあります」 これじゃ、暗(あん)に告白することを仄(ほの)めかしているようなものだけれど。原口さんは不思議そうな顔もせずに「分かりました」と頷いただけだった。私は目を瞠った。

    Last Updated : 2025-03-19
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    「――ごちそうさまでした」 彼は満足そうに箸を置いた。出した料理は全てキレイに平らげられている。「いやー、全部うまかったです。ありがとうございました」「いえいえ! ね、原口さん。よかったら、これからもちょくちょくウチにゴハン食べに来ませんか? こんな簡単なものでよかったら、私いつでも作りますから」 ……はっ!? 私ってば何を彼女気取りで! でも原口さんは、特に意に介した様子もなくて。「……いいんですか?」「ええ。一人分増えたって手間は同じですから」 一人で食べるゴハンより、誰かと一緒に食べるゴハンの方が絶対美味しい。――この間実家に帰ってみてそう思った。きっと原口さんも同じはずだから。「お気遣いありがとうございます」 低頭(ていとう)する原口さんに頷いてみせてから、私は彼の食器を片付け始めた。「――じゃ、僕はそろそろ失礼します。長居してしまってすみません」「いえ。引き留めたの、私ですから」 原口さんはリビングからカバンを取ってくると、玄関で私に言った。「それじゃ先生、執筆頑張って下さい」「はい! ……気をつけて帰って下さいね」 原口さんが今日訪ねてきてくれるまで、本当に私にエッセイなんて書けるのか不安だったけれど。今なら書けそうな気がしてきた。

    Last Updated : 2025-03-20
  • シャープペンシルより愛をこめて。   7・前に進む勇気 Page4

       * * * * ――それから数日後。「ふわぁ~~あ……」 バイト中、売り場での作業をしながら大欠伸をした私に、由佳ちゃんが心配そうに声をかけてきた。「奈美ちゃん、眠そうだね? どしたの?」「あー……うん。今新作の原稿書いててね。昨夜も遅くまでやってたもんだから」 元来、書き始めたら筆が止まらなくなる私は、今回の仕事でもそういう状態になっているのだ。いわゆる〝ライターズ・ハイ〟というべきか(……あれ? こんな言葉あったっけ?)。 今回は特別な仕事だから、なおのことそうだった。「遅くまでって何時ごろまで? 睡眠時間足りてないんじゃない?」「うーん……、十二時半ごろまでかな。でも睡眠は足りてるし、もう慣れてるから大丈夫だよ。由佳ちゃん、心配ありがとね」 手書き原稿派の私は、ただでさえ遅筆だ。そのうえ、言葉の一つ一つを吟味(ぎんみ)して書いているので、遅い時には深夜の二時ごろまでかかることもあるのだ。「大丈夫ならいいんだけどさ。っていうか新作って? こないだ出て、重版かかったばっかじゃなかったっけ?」 由佳ちゃんは一度首を傾げてから、「あ」と声を上げた。「もしかしてアレ? こないだ取材受けたエッセイだっけ?」「そうそう。それ」「ああ~、そういうことね。あたしも絶対予約するよ!」 由佳ちゃんって私の根っからのファンなんだな。私の新刊が出るたびに、毎回こうして売り上げに貢献(こうけん)してくれているから。もちろんそれだけじゃなく、素直な感想もくれて、それが作家としてすごく励みにもなっている。 私はいつも、こんなファンの人達に支えられて作家活動を続けられているんだなあと、感謝してもしきれない。「――すいませーん。本の予約したいんですけど」 若い女性のお客様に声をかけられ、私は補充作業を中断した。「はい、少々お待ちくださいませ。――由佳ちゃん、ここお願い」「うん、オッケー!」 彼女に売り場を任せ、パソコンのあるレジ横カウンターへ。「お客様、こちらの予約注文票にご記入をお願いします」 私はカウンターの下の引き出しから伝票を取り出して開き、ボールペンをお客様に差し出した。こうして記入された書籍のタイトルやお客様のお名前・連絡先などを、後でパソコンに入力していくのだ。

    Last Updated : 2025-03-21
  • シャープペンシルより愛をこめて。   7・前に進む勇気 Page5

    「――はい、書けた。これでいいの?」「ありがとうございます。――はい、大丈夫です。では、こちらがお控えです」 私は控えをお客様にお渡しした。「入荷しましたら、ご連絡差し上げます。ご注文承(うけたまわ)りました」 お客様はそのまま、雑誌の売り場へと向かった。「――店長、ご注文受け付けました。今からパソコンに入力します」 パソコンに向かった私は、レジにいる清塚店長に声をかけた。「了解。悪いねえ、巻田さん。頼むよ」「はい」 ほんの二ヶ月くらい前の私なら、パソコン作業はあまりやりたがらなかった。 でも、今は違う。今の私は作家としての仕事にも、書店員としての仕事にも前向きに取り組んでいる。私を変えてくれたのは、原口さんへの恋心だと間違いなく思う。「あっ! 奈美ちゃん、いいよ。あたしがやるから」「ううん、いいの。私できるから、任せて」 由佳ちゃんがヘルプを申し出てくれたけれど、私は断った。気持ちは嬉しいけれど、注文を受けたのは私なんだから、責任もって入力まで終わらせないと! もうだいぶ慣れてきた手つきで、私は入力作業を済ませた。その内容にミスがないか確認した後、予約受付票を専用バインダーに挟んで手続きは完了。 店内の時計に目を遣ると、もう夕方四時。ちょうど退勤時間だった。「店長、お疲れさまでした。私と由佳ちゃんはこれで失礼します」「ああ、お疲れ

    Last Updated : 2025-03-22

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page2

    「でも最近、自分がやっと一人前の作家になったような気がしてきてます。私自身、本の売れ行きが予想をはるかに超えててビックリしちゃって。こないだ入った印税なんか、ゼロの数が多すぎて『これ、金額間違ってるんじゃない?』って思ったくらい」 運ばれてきたハヤシライスを食べながら、私は嬉しさを隠しきれずにそう言った。この話は大げさではなく、事実である。私の銀行口座の残高(ざんだか)は今、大変なことになっているのだ。万から上のケタが四ケタってどういうこと? ……みたいな。「それだけ印税入ってくるようになったら、もう専業作家になってもいい頃なんじゃないですか? 書くことに専念して」「えっ、専業?」「はい。人気作家になったら、他の出版社さんからも執筆依頼が来るようになります。先生は原稿を手書きするので、そうなると今まで以上に執筆時間を長めに確保する必要が出てきます」「はあ……」 原口さんの言いたいことは分かる。パソコン書きの作家さんなら、いくらでも執筆時間の都合はつけられる。――少なくとも、手書きの作家よりは。「これまで通り働きながら執筆活動を続けようと思ったら、睡眠時間を削(けず)らないといけなくなります。それじゃ先生、最悪の場合は体壊しますよ」 彼氏としても編集者としても、私のことを心配してくれているのは嬉しい。でも……。「それだけ心配してくれてるのはすごくありがたいんですけど。私、バイトは続けていきたいです。友達もいるし、作家と書店員を両立する上での役得もあるし」「先生の気持ちは分からなくもないですけど。無理はしてほしくない――」「大丈夫。執筆時間は何とか都合つけて頑張りますから」 彼の思いやりには感謝したい。でも、ちょっと心配しすぎな彼の言葉を遮って、私は彼を宥(なだ)めた。「そうですか? 分かりました。――この問題の解決策(さく)が、実は一つだけあるんですけど」「解決策って?」 私は食事の手を止め、彼に首を傾げてみせる。「先生に、我が洛陽社の専属作家になってもらうこと、です」 私は〝目からウロコ〟とばかりに目を瞠った。でも、言い出した当人の原口さんはあまり気が進まないようだ。「なるほど。……でも原口さん自身は、あんまり薦(すす)めたくないみたいですね」「はあ。僕としては、〝作家という職業は自由業だ〟と思ってるんで。先生にはいろいろな出

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   エピローグ Page1

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   9・シャープペンシルより愛をこめて。 Page10

    「――私ね、前にも話しましたけど、潤とのことがあってから、『もう恋愛は懲(こ)りごり』って思ってたんです。もう恋愛で傷付いたり疲れたりしたくないって。……でも私はやっぱり恋愛小説家だから、性(しょう)懲(こ)りもなくまた恋をしちゃいました」 考えていた台詞はどこかに行ってしまったけれど。私のこの想いだけ伝わればいい。「原口さん。……私、あなたが好きです。多分、二年前に担当になってくれた時からずっと」 よし、言えた! ――さて、彼の反応はどうだろうか?「…………えっ!? ぼ、僕ですか!?」 ……がくぅ。私は脱力した。これってわざとですか? ボケですか?「そうに決まってるでしょ!? 今ここに、他に誰かいますか?」「そう……ですよね。いやあ、なんか信じられなくて」 コメカミを押さえながらツッコむと、彼は夢心地のように頬をボリボリ。でも次の瞬間、彼から聞けたのは思いがけない(こともないか。実はそうだったらと私も密かに望んでいた)言葉だった。「実は僕から告白しようと思ってたので、まさか先生の方から告白されるなんて思ってなくて」「え……?」 待って待って! これって夢?「僕も、巻田先生が好きです。二年前からずっと」「……ホントに?」「はい」 こんなシチュエーション、小説にはよく書いてるけど、いざ自分の身に起こると現実味が薄い。「……あの、あなたが二年前に琴音先生より私を選んだのはどうして? 彼女の方がずっと魅力的なのに」「それは、僕が心惹かれた相手が先生だったからです。責任感が強くて一生懸命で、でも僕のボケには的確にツッコんで下さって。僕にとってはすごく可愛くて魅力的な女性です」 〝ボケ〟とか〝ツッコミ〟とか、いかにも関西人の彼らしい。――つまり、私達の相性は最強ってことかな。SとMで、当たり前のように惹かれ合っていたんだ……。「――実はね、私ちょっと前まであなたのこと苦手だったんです。あなたが酔い潰れた姿を見るまでは、あなたのこと口うるさいカタブツだと思ってたから」 あの夜、〝素〟の彼を見て分かった。彼は精一杯、バカにされないように突っ張っていただけなんだと。「じゃあ、あの夜に僕が本当は何を考えてたか分かりますか? ――もしこのリビングが明るかったとしたら」「え……」 私は瞬く。と同時に理解した。男性である彼が、「理性を保てなく

  • シャープペンシルより愛をこめて。   9・シャープペンシルより愛をこめて。 Page9

     ――そして、待つこと十数分。 ピンポーン、ピンポーン ……♪ ……来た! 私はインターフォンのモニター画面に飛びつく。「はい!」『原口です。原稿を頂きに来ました』「はっ……、ハイっ! ロック開けてあるのでどうぞっ!」 思わず語尾が上ずってしまい、インターフォン越しに彼がプッと吹き出したのが分かった。……恥ずかしい! 緊張してるのがバレバレ! もう二年以上の付き合いなのに(仕事上だけれど)、「今更?」って思われていたらどうしよう? そしてそのショックで、昨日まで練(ね)りに練った告白プランが全部飛んでしまった。「――先生、おジャマします」「はい、……どうぞ」 玄関で原口さんを出迎えた私は顔が真っ赤だったはずだけど、彼は「今日、暑いですよね」と言っただけでいつもの定位置に腰を下ろした。――彼なりに空気を読んでくれた?「あの、先生――」「あ……、原稿ですよね? ここにちゃんと用意してあります」 何か言いかける彼の機先(きせん)を制し、まずは原稿の封筒を彼に手渡す。「あ、ありがとうございます。――あの、ここで読ませて頂いてもいいですか?」「はい。じゃあ私、冷たいものでも淹れてきますね」 私はキッチンに立つと、二人分のアイスカフェオレのグラスを持ってリビングに戻った。 彼は普段と変わりなく、原稿を一枚一枚めくっている。でも今回はじっくり時間をかけて読み込んでいる気がする。「――コレ、どうぞ」 グラスを彼の前に置いても、「どうも」と会釈してくれただけで、視線はすぐ読みかけの原稿に戻された。私は何だか落ち着かず、彼の隣りでアイスカフェオレを飲みながら成り行きを見守ることに。 ――原口さんが二百八十枚全部を読み終わったのは、夕方五時半ごろだった。「どう……でした? 誤字とかのチェックはもう自分でしてあるんですけど」 私は彼に、原稿の感想を訊ねてみる。毎回この瞬間はドキドキするけれど、今回の緊張感は普段とはケタ違いだ。「……いや、これスゴいですよ。恋愛遍歴なんかもう赤裸々(せきらら)すぎちゃって、僕が読むのなんかおこがましいっていうか何ていうか」「いいんです。あなたに読んでほしかったから」 私の過去の男性遍歴は、あまり人に自慢できるようなものじゃないけれど。それでも好きな人には知っていてほしいから。

  • シャープペンシルより愛をこめて。   9・シャープペンシルより愛をこめて。 Page8

    「――で? 告白の時はもうすぐなの?」 笑いがおさまったらしい由佳ちゃんが、私の顔を覗き込む。「うん」 締め切りは来月半ばだけれど、今の執筆ペースでいけばそれより早く書き上げられるはず。そしたらその日が、いよいよ告白決行のX(エックス)デーだ! 美加も由佳ちゃんも、そして琴音先生も気づいている。彼が私を好きだってことに。そして多分、私の気持ちを彼も知ってる。告白にはエネルギーが必要だけど、今回はもしかしたら〝省エネ〟で済むかもしれない。「そっか。きっとうまくいくって、あたし信じてるよ! ――さて、早く食べて仕事に戻ろ!」「うん!」 作家の仕事と同じくらい、私はこの書店での仕事も大好きだ。このお店で大好きな仲間と働けていることに感謝しながら、私はお弁当の残りをかき込んだ。   * * * * ――それから二週間ほど経った。 週四~五日は昼間はバイト、夜は原稿執筆に精を出し、休日には書けたところまでをチェックするという日々を送り、季節は梅雨からすっかり夏になっていた。今年は梅雨明けが早かったらしい(注・この作品はフィクションです)。 今日は店長のご厚意(こうい)で、有給にしてもらえた。昨日、「今の原稿、明日には書き上げられそうなんです」って私が言ったら、「じゃあ明日は有休あげるから、執筆頑張るんだよ」と言ってくれたのだ。

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